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内間御殿

2014年1月31日
東江御殿
さわふじ
先王旧宅碑
 
 
 

第二尚氏王統の始祖、金丸

 第二尚氏王統の始祖となる金丸(のちの尚円王)は、1415年、伊平屋間切諸見村に平民の子として生まれました。1438年、金丸24歳のとき妻や弟らと共に島を出て、国頭間切宜名真村を経て首里に上ります。首里に上った金丸は、越来王子(のちの尚泰久)の家臣となりました。1447年に尚泰久の推薦で家来赤頭となり、38歳には黄冠の位まで昇進。1454年には内間領主に任ぜられ、さらに、1459年、45歳のとき、王府の貿易を管轄する御物城御鎖側官の位に就きました。その後、金丸は尚泰久王の後を継いだ若い尚徳王と対立し、1468年、内間村に隠遁しました。翌年、尚徳王が亡くなり群臣から推され金丸が尚円と称して王位に就いたのです。

 

内間御殿

 内間御殿とは金丸(尚円)の旧宅跡に建てられた神殿とその空間のことを指します。1454年に尚泰久が王位に即位すると、金丸は内間の領主となりますが、それから王位につく(1469年)までの15年間この地に住んでいました。尚円王の死後190年経った後(1666年)に国相に就任した羽地朝秀の国王への進言によって、旧宅(東江御殿)に茅葺の建物が作られました(創建年不明)。これが内間御殿の整備のはじまりと考えられています。1679年には東江御殿を重修(周囲を竹垣で囲う)、1689年東江御殿を樫木、瓦で重修、1706年には西原間切の人民が西江御殿を普請しています。1737年には西江御殿を瓦で葺き、その周囲に竹垣を造りますが、東江御殿については1735年、賊によって宝枕が盗まれる事件を機に1738年に屋敷囲いが竹垣から石垣へと改修されました。また、東江御殿の敷地内には先王旧宅碑が建立され、本門の軒には「致和」の扁額が掲げられました。木造建造物であった両御殿は、沖縄戦で破壊されましたが、東江御殿の石垣や碑文の台座は戦火を免れています。戦後派地域住民によって、両御殿の跡地にトタン葺きの建物が建てられるなど地域の人たちに大切に守られてきました。内間御殿は琉球王国の国家的祭祀場所としてだけでなく、地域や村落の祭祀場所にもなったことから、幾つもの信仰に支えられた神殿でもあります。

 このように国家的聖地が約300年にわたってその歴史的系譜が明らかになる事例は例を見ないものであり、また沖縄における祭祀・信仰を知るうえでき極めて重要な遺跡であることから、内間御殿は2011年2月に国の史跡に指定されました。

地図

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